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桜井章一先生

生活は自分で貿易関係の会社を経営してらっしゃったようです。

報酬は受け取られませんでしたから、ある意味アマチュアイズムをお持ちだったのかなと思います。

とても義理人情に厚く人情がらみの断れない仕事だけを引き受けてあったそうです。

裏プロのする仕事は数千万から億単位のお金が動きますから、そのストレスや大変なものであったと考えられます。

不安の固まりだと思います。

桜井先生自身不安だったとおっしゃっていらっしゃいます。

また不安とはなくならないものだとも・・・・・・・

ではどのように桜井先生はストレスコントロールされていたのでしょう。

自分は未来に夢や希望を持たないとおっしゃっていました。 

長いことこのことの意味が分かりませんでした。

普通人は幸せになりたくて将来こうなりたいと未来を思い描くものです。

なのになぜ?
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伝説の雀鬼こと桜井章一先生2

河野先生は自分のからだの内部感覚と実際に技が決まるか否かで古武術を実際に使えるようにされました。
それを、介護にまで応用されたユニークな先生です。

武術というのは白黒がはっきりつくものです。宮本武蔵の時代の果し合いは、生か死の2文字しかありませんでした。

ですからもっとも厳しい世界といってよいでしょう。

その厳しい世界に身を置く河野先生が桜井先生のことを本で紹介されていらっしゃったのです。 

桜井先生はある意味もっと厳しい世界でした。
河野先生が武術で厳しい世界といっても現代で命を懸けて戦うということはありません。

しかし桜井先生は命の危険にさらされて殺されかけたこともある方なのです。

どんな職業の方かと申しますと、麻雀のプロであり裏プロであった方です。 

職業というと正確ではありません。

裏プロとは雀荘で金を稼ぐ人ではありません。

数千万から数億の金が動く勝負の代打ち稼業のことをいいます。

桜井先生は20年間この世界で負けたことがなく、不敗のまま引退されました。

しかし、報酬は受け取られないという変り種の方でした。

別に職業を持っていらっしゃったので生活には困らない方なのです。

伝説の雀鬼こと桜井章一先生

桜井章一先生のことは河野善紀師範という古武術研究家を通して知りました。

実は私は古武術や太極拳を研究していました。

河野先生は著書を沢山書かれていて、正直で飾らない文章はとても好感が持てます。

武術家として超一流で一度お会いして色々教えを受けたことがあります。

先生が木刀を八双に構えられて、私は鍛錬用のとても太い木刀で先生の木刀めがけてフルスイングで打ちつけるのですが、先生は木刀をちょっと動かしただけで私の重い木刀をはじき返されました。

眼をまばたきしている間にたたみ1畳分の距離をつめたり、かわせるつきとかわわせない突きを自在に使い分けられて私の眼が白黒になってしまいました。

交わせないつきもかわせるつきも同じスピードでくるように見えるのです。

そして、どちらもくるのが見えるのですが、交わせない突きだよといわれる突きはからだが反応しないのです。

ある時NHKの爆問学問という番組に出られて柔道の金メダリスト吉田選手と畳1畳から出すというゲームをされて
自分の2倍近くある相手に3本勝負で2本取られて勝ったのです。 

おそらく先生は60代半ばと思われます。

そしてとても小柄な先生なのです。


不安と共に生きる

不安がなくならないものなら、不安と共存して生きるしかありません。

不安に気がいってしまうと、エネルギーを消耗してしまいます。

また、理想を持ってまい進すると理想通りに行かない自分に、いらいらしてしまったり自分はだめなやつと落ち込んでエネルギーを無駄に消耗してしまいます。

よく無心で物事をやれといいます。

無心とは、余計な心がないということではないでしょうか?

でもこの無心が難しいんですよね。

今ここだけを考えて行動すれば大きな力が出ます。

雀鬼こと桜井章一先生をご存知でしょうか?

桜井章一先生こそいまここを実践された方です。

伝説の麻雀の裏プロとして知る人ぞ知るですが、私の尊敬するメンターの一人です。

人間万事塞翁が馬2

塞翁はなぜあんなに落ち着いていられたのでしょう?

きっと不動心を持っていたのだと思います。

そして今ここを生きていたのだと思います。

なぜ、今ここを生きられたのでしょう?

私たちの周りには、心配事だらけではないでしょうか?

私には、19歳の愛する息子がいます。

あの子は寝てばかりでちっとも勉強しない。

あの子の将来はどうなるんだろう?

郵政民営化になったら、外国の資本に貯金を持っていかれるんじゃなかろうか?

このまま経営はうまくいってくれるんだろうか?

今は健康だがぴんぴんころりといけるだろうか?

年取ってぼけるんじゃなかろうか?

家内に三行半をつけつけられるんじゃなかろうか?

と考え出すときりがありません。

挙句の果てに占いに行ったり、霊能者のところにいったり

それぞれにいうことが違うので、ますます不安になる。

最近人間は、不安から逃れられないんじゃないかと思うようになりました。

この不安が高じると鬱や不安神経症になるのではないかと思うようになりました。





人間万事塞翁が馬

人間万事塞翁が馬のたとえ話は、30年以上前に聞いた話です。何かことがあると人間万事塞翁が馬 と自分に言い聞かせます。

最近はこの一文に人生すべてのエキスが凝縮されていると感じてます。
ご存知ない方もいらっしゃるかもしれないので、引用したいと思います。

中国の北の方に占い上手な老人が住んでいました。
さらに北には胡(こ)という異民族が住んでおり、国境には城塞がありました。

ある時、その老人の馬が北の胡の国の方角に逃げていってしまいました。
この辺の北の地方の馬は良い馬が多く、高く売れるので近所の人々は気の毒がって老人をなぐさめに行きました。
ところが老人は残念がっている様子もなく言いました。

「このことが幸福にならないとも限らないよ。」

そしてしばらく経ったある日、逃げ出した馬が胡の良い馬をたくさんつれて帰ってきました。
そこで近所の人たちがお祝いを言いに行くと、老人は首を振って言いました。

「このことが災いにならないとも限らないよ。」

しばらくすると、老人の息子がその馬から落ちて足の骨を折ってしまいました。
近所の人たちがかわいそうに思ってなぐさめに行くと、老人は平然と言いました。

「このことが幸福にならないとも限らないよ。」

1年が経ったころ胡の異民族たちが城塞に襲撃してきました。
城塞近くの若者はすべて戦いに行きました。

そして、何とか胡人から守ることができましたが、その多くはその戦争で死んでしまいました。
しかし、老人の息子は足を負傷していたので、戦いに行かずに済み、無事でした。

自分の人生を振り返ると、いいことと悪いことの繰り返しでした。
私が、整骨院の開業資格である柔道整復師の資格を取ろうと思ったのは大学に入って間もない頃でした。

入ってすぐに、整体という仕事に興味を持ちました。
大学は英文科でした。

僕らの時代の青春ドラマは、竜雷太、夏木陽介といった俳優が先生役をする学園青春ドラマでした。
そうです、かっこいい先生に憧れて英語教師になろうといきごんで大学に入ったのですが、すぐに宗旨替えしてしまいました。

大学在学中に夜間の鍼灸や柔道整復師の専門学校を受験したのですが、落ちてしまいました。
当時は裏口やコネがないと入れなかったようです。

それからいろいろ進路に迷いが生じ、しばらくはほかの事をしようと考えていました。
大学を5年かけて卒業し、企業に就職しました。

1年ほど勤めてやはりこちらに進みたいと強く思うようになりました。
そして、ある専門学校を受けたのですが、すんなり合格することができました。

受けた年に校長が変わり裏口やコネがなくなったという、うわさをあとで聞きました。
そしてその学校に、私の治療家としての一生の礎を築いてくださった恩師である渡辺先生との出会いがありました。

もし私が、大学時代専門学校に合格していたら恩師との出会いはなかったと思います。
今、考えたら、あの時不合格していてよかったとしみじみ思います。

さていよいよ、待望のカイロプラクターになる一歩を歩みだしたわけですが、ここで失敗したら後がないと思いなりふり構わず一心に勉強しました、 当時専門学校は2年間でしたが、勉強漬けの毎日を送りました。好きな医学の勉強でしたので苦にはなりませんでした。 

当時の解剖学の教科書は暗記するくらい覚えました。

そのくらい、勉強したのですが、国家試験に落っこちてしまいました。
大志を抱き、治療技術で人の役にたとうという私がなんで落ちたのか分かりませんでした。

成績もトップクラスだったのに!!、勉強ができないで落ちるなら分かるのですが、神も仏もないのかと思いました。

仕方がないので、福岡に帰り、恩師の紹介の整骨院でインターンをすることにしました。
素晴らしい技術を持った先生だったのですが、徐々にそこで働くことに苦痛をおぼえるようになりました。

自分が求めているものと違う気がしてきたのです。
半年くらいたったころ、院長が、来年は必ず合格しなければならないから、母校にもどって聴講生になりなさいといっていただきました。

そこで東京に再び戻ることになりました。
開業している知り合いのところを手伝いながら聴講生として学校に行くことになりました。

手伝っている治療院の先生も福岡の先生と同じことをするようになりました。
やはり 苦痛でたまらなくなりました。

翌年は、国家試験に合格できました。
私が感じている苦痛を解決してくださるのは恩師の渡辺先生しかいないと思って、押しかけ弟子としてインターンをさせていただきました。

すでに人員は足りていたので、無給で他でバイトしながらインターンをしました。
バイトがないときは、お酒をご馳走していただきながら治療談義をしてくださいました。

30年前ですから先生はまだ39歳で今の私より年下でしたが、その知識の博識なことと、高邁な英知、本質を見ぬく鋭さには、驚嘆したものです。鬼才とは渡辺先生のような人のことをいうのだと思ったものです。

治療家としての考え方や哲学等 一生の土台を作ってくださいました。
先生は弟子は取らない方針だったのですが、何かのきっかけで、「弟子は岩瀬だけだな」といってくださったことが本当に嬉しかったことでした。

国家試験に落ちたことはアンラッキーなことでしたが、それがなければ、再び福岡から東京に行くことはなかったと思います。渡辺先生に見えることもなかったわけです。 

本当にあの時落ちていてよかったと思います。

渡辺接骨院でインターン後、福岡に戻って開業しました。 
28年前に開業したわけですが、当時は健康保険全盛の時代で整骨院は誰が開業しても成功できて、
失敗するのが難しい時代でした。

そんななか、私はどういうわけか大きな赤字をつくってしまいうまくいきませんでした。
原因は保険には保険のやり方があり、余りにもマニアックにやりすぎたことでした。

当時はそれが分からず、いい治療をすれば必ずはやるとの想いで一生懸命にやりました。
ただひたすら患者様のことを想い技術を磨くことに専心しました。

閉院の危機に見舞われたのですが、一か八か自由診療でやってみることにしました。
その結果保険診療でやっているときよりはるかに経営状況がよくなりました。

その後しばらく保険全盛時代は続くのですが、最近になって保険制度が見直され以前のように請求ができなくなってきています。倒産するところも出てくるのではないかと考えられる中、自由診療にシフトする動きが業界全体に見られます。

みんな生き残りをかけて必死に今腕を磨こうとしていますが、私は必死で28年かけて腕を磨いてきました。
おかげで経営も安定しています。

あの時保険で成功していたら怠慢な私は保険の上に胡坐をかいて努力しなかったと思います。
あの時成功しなくて本当によかった。
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